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官民から見た、中堅企業の成長の可能性と課題(後編)

2025年2月6日、高い成長可能性を有する「中堅企業」にフォーカスした「Deloitte Private / 朝日新聞社 中堅企業フォーラム」が開催されました。官と民、それぞれの視点から中堅企業の「成長」と「挑戦」をテーマとした基調講演およびパネルディスカッションが行われ、中堅企業の可能性に多くの参加者が関心を寄せました。レポート後編となる今回は「中堅企業の更なる成長」と題したパネルディスカッションの様子をお伝えします。<モデレーター> 関根 和弘氏朝日新聞社 GLOBE+編集長1998年、朝日新聞入社。徳島支局を振り出しに、福山(広島県)、神戸両支局を経て大阪社会部。モスクワ大学ジャーナリズム学部に留学したあと大阪社会部に戻り、モスクワ支局へ。ソチ五輪やウクライナ政変、クリミア併合などを現場で取材。帰国後は北海道報道センターで北方領土問題などを担当し、2017年から2年半、「ハフポスト」の日本版に出向。デジタル編集部、GLOBE+副編集長を経て2022年9月より現職。 <パネリスト> 河野 太志氏経済産業省 経済産業政策局 審議官1996年に東京大学法学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。製造産業局自動車課長、内閣総理大臣秘書官、資源エネルギー庁長官官房総務課長などを経て、2024年7月から現職。 藤森 義明氏シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン株式会社 最高顧問東京大学工学部卒業後、1975年に日商岩井(現・双日)に入社。1997年には米GEへ。2001年、アジア人初となるシニア・バイス・プレジデントに抜擢される。2008年、日本GE取締役会長 兼 社長 兼 CEOに就任。2011年には株式会社住生活グループ(現・LIXILグループ)の取締役代表執行役社長 兼 CEOに就任し、グローバル企業への飛躍をけん引した。現在は、武田薬品工業 社外取締役や日本オラクル株式会社 取締役会長などを務めている。 久世 良太氏株式会社サンクゼール 代表取締役社長2002年に入社したセイコーエプソン株式会社を経て、2005年より株式会社斑尾高原農場(現・サンクゼール)へ。経営サポート部部長や専務取締役などを経て、2018年より現職。 古田 温子デロイト トーマツ エクイティアドバイザリー合同会社 代表執⾏役社⻑大手証券会社、IR/SRコンサルティング会社の取締役、経営人材コンサルティング会社のパートナーを経て、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(DTFA)に入社するとともにデロイト トーマツ エクイティアドバイザリー合同会社(DTEA)で現職に就く。これまでに敵対的買収防衛支援、プロキシーファイト対応、アクティビスト対応、中期経営計画策定支援、経営幹部育成、幹部社員アセスメントなどのアドバイザリー業務に従事した経験を持つ。 ディスカッションテーマ①:中堅企業が抱える課題モデレーター 関根:中堅企業が更なる成長を果たすために重要な4つのテーマについてパネルディスカッションを行います。1つ目のテーマは「中堅企業の課題」です。行政の立場では、中堅企業の課題をどのように捉えているのでしょうか。経済産業省 河野中堅企業等へのアンケートの結果、課題として最も多く挙げられたのが人材確保でした。そのほか、研究開発や販路拡大、M&Aと回答された中堅企業等もいらっしゃいます。ただ、これはあくまで横断的な課題です。業種別に分析してみると、例えば製造業は戦略的な研究開発および設備投資、また小売業の場合は規模の経済拡大のために必要なデジタル化・M&Aのノウハウ不足などが課題として挙げられます。経産省としては、このように業種によって異なる課題をきめ細かく分析する必要があると考えています。モデレーター 関根河野さんからもキーワードとして出た、人材確保という課題に対してはどのようにアプローチをすべきでしょうか。CVC・アジア・パシフィック・ジャパン 藤森大企業の若手社員の中には「ここに居続けて良いのだろうか」という悩みを持つ人が多くいます。中堅企業はそのような人を含め、様々な人材と会い、人材プールをつくることが大切だと考えます。その上で、人材プールにいる優秀な人材に入社してもらえるように、会社としての魅力をどのようにつくっていくのか、経営陣や人事部等は考える必要があるでしょう。モデレーター 関根新規事業創出という課題に対しては、中堅企業の当事者としてどのように向き合っていますか?サンクゼール 久世自身の思いをチームに共有することを意識しています。例えば、2013年12月に立ち上げた久世福商店ブランドの開発時にも、「こういうアイディアはどうだろうか」という私の父親からのメールがきっかけで経営陣含めて議論が始まったことがありました。私自身も常に危機意識を持って市場動向やビジネスチャンスにアンテナを張った上で、気になる事柄についてはチームで話し合うようにしています。DTEA 古田人材確保や新規事業創出という課題は、成長戦略に関連するものですね。成長戦略を考える上では、自社の経営リソースの強みや不足を分析し、不足があるのであればM&A含めタブーなしで発想および実行ができるかどうかが重要だと考えます。ディスカッションテーマ②:日本・地域の成長における中堅企業モデレーター 関根2つ目のテーマは「日本・地域の成長における中堅企業」です。そもそもなぜ行政は中堅企業にフォーカスした施策を考え始めたのでしょうか。経済産業省 河野いわゆる「失われた30年」の間、日本のGDPが伸びなかった要因の一つが国内投資の弱さにあります。その点、中堅企業の国内投資のパフォーマンスは良好です。加えて、売上高や従業員数も大きく伸びています。このような背景のもと、中堅企業というセクターが日本経済全体に大きな好影響を及ぼし得ると考え、日本経済が自信を取り戻す起爆剤として中堅企業をターゲットとした施策を展開しています。サンクゼール 久世地域経済の成長という観点でも、中堅企業の役割は少なくありません。例えば、地域産業のハブとなっている中堅企業もあります。当社についても約500社の生産者ネットワークを形成しており、連携企業との新商品の開発や販路拡大に応じた工場への投資などの経済活動を積極的に行っています。多様な企業の結節点になるのが中堅企業であり、地域経済への影響度も大きいと考えます。モデレーター 関根PEファンドとして、中堅企業の成長可能性についてどのように考えていますか。CVC・アジア・パシフィック・ジャパン 藤森中堅企業は必ず多かれ少なかれ課題を有していますが、課題があるからこそ、その課題を解決できれば成長する可能性は高くなると考えています。現に私たちの投資対象の大半が、成長期待の高い中堅企業セクターです。ディスカッションテーマ③:ガバナンスモデレーター 関根3つ目のテーマは「ガバナンス」です。中堅企業におけるガバナンスの難しさについて、アクティビスト対応をされている古田さんはどのように考えていますか。DTEA 古田ガバナンスの舵取りは難しいと思います。例えば、未上場のフェーズでは、創業者ガバナンスがプラスに働くことが多いでしょう。スピード感のある意思決定や大胆な経営政策を実行し、成長を加速させることができるためです。一方で上場すると、東証からの要請に対応したり、株主・一般投資家の厳しい目に耐えられるガバナンス体制を構築したりと、多大なコストやリソースが必要になります。上場・非上場問わず、ガバナンスを持続的な成長に不可欠なものとして、ポジティブに捉える意識が大切ですね。モデレーター 関根ガバナンス強化のために、中堅企業が対応すべきことは何だと考えますか。CVC・アジア・パシフィック・ジャパン 藤森現状、各種指標を定量的に計測および記録している中堅企業は多くありません。一方で、ガバナンスの強化にあたってはトラッキングが必要です。そのために、経理や財務などに関する全ての指標を見える化することが重要だと考えます。サンクゼール 久世オーナー企業の場合、親族が後継者になるケースが珍しくありません。ただ、私は中堅企業は地域の宝だと考えます。だからこそ、優秀な経営者が次の世代に経営を担い、末長く地域に貢献するために、所有(株主)と経営の分離も検討すべきだと思います。ディスカッションテーマ④:中堅企業の自助努力、支援モデレーター 関根最後のテーマは「中堅企業の自助努力、支援」です。行政による中堅企業支援の方針をお聞かせください。経済産業省 河野今後より具体的な施策の方向感は示していく予定ですが、業種によって異なる課題に対応する切れ目のない支援は必須だと考えています。一方で、メリハリをつけ、成長意欲がありリスクを取って勝負をしたい中堅企業へ重点的に限られた政策リソースを投下することも大切です。モデレーター 関根自助努力の重要性についてのお考えを聞かせてください。CVC・アジア・パシフィック・ジャパン 藤森行政の動きは心強く思う一方、ビジネスは「自分がリーダーだったら何をするか」という0→1の世界であり、自助努力が極めて重要です。中堅企業のリーダー達には、ぜひ中堅企業から大企業やグローバル企業への飛躍という大きな夢を持ち、自らの力を以て困難に立ち向かってもらいたいと思います。モデレーター 関根自助努力の重要性がよく伝わりました。サンクゼール 久世私も基本的には自助努力が大切だと思います。当社は2017年よりアメリカにも進出しているのですが、他の日本企業に所属する現地スタッフからは「うまくいくことはわかっているが、本社がGOサインを出してくれない」という声を聞きます。ここぞという時には投資をする意思のもとで努力をすれば、事業は成功するのではないでしょうか。モデレーター 関根これから飛躍を遂げようとしている中堅企業は、例えばどのような支援を検討すべきでしょうか。DTEA 古田未上場のうちは倒産を防ぐために出来る限りの内部留保蓄積が必要である一方、上場後は株主資本コストより負債コストの方が低いために、借り入れが求められます。上場後に財務戦略のパラダイム転換が起きるわけですね。この大転換に戸惑う中堅企業が少なくありません。必要に応じて財務の専門家からの支援を受けてみてはいかがでしょうか。<<官民から見た、中堅企業の成長の可能性と課題(前編)はこちらから

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地方創生への様々なアプローチ​

人口減少や高齢化に直面する中、各地で多様な地方創生の取り組みが進んでいます。地域資源を生かした産業振興や移住促進など自治体・企業・住民が一体となって挑む事例が増えています。本特集では先進的な事例や現場の声を紹介し持続可能な地域づくりのヒントを探ります。​

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第3回 サプライチェーンにおける人権リスクと対応

国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、「国連指導原則」)(*1)や日本政府が策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)(*2)において、企業は「日本国内のみならず世界各地における自社・グループ会社と記載されています。自社の製品・サービスと直接関連する限り、サプライチェーンにおける「負の影響」(人権侵害・そのリスク)についても、「自社の責任」として対応が求められます。取引先等において人権侵害が発生したとしても、「当社と資本関係のない企業であり、当社とは関係がありません」と説明することは、国連指導原則等に則した対応とはなりません。本記事では、法規制などで定められる企業の人権リスクの責任範囲、サプライチェーン上の人権リスクとその影響、実際にサプライチェーン上で起きたグローバル企業における人権侵害の事例、サプライチェーンにおける人権リスクへの対応について解説します。*1ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31) | 国連広報センター *2責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン|ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会清水 和之デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社パートナー有限責任監査法人トーマツにて上場企業等の法定監査業務に従事した後、DTFAに参画。企業が危機に直面した際の危機管理・危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントにおいて、企業の会計・品質偽装・贈収賄等コンプライアンス不正調査案件、企業不正からの改善・再生プロジェクト、クライシスマネジメント対応支援、サプライチェーンリスクマネジメント、人権DDなどに従事。詳細はこちら 大沢 未希デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社シニアコンサルタント 大手総合電機メーカー、総合コンサルティングファームを経て、DTFAに入社。企業の危機管理および危機からの脱出を支援するクライシスマネジメントサービスにおいて、大手企業の危機対応、再発防止策策定・実行、M&A案件におけるビジネス・インテリジェンスサービス、人権課題対応支援などのプロジェクトに従事。 企業の人権リスクの責任範囲グローバルサプライチェーンの広がりに応じて、企業が国内外の自社ビジネスやサプライチェーン全体で人権尊重に取り組むことが求められています。サプライチェーンの末端における児童労働、安い労働力による搾取などといった人権侵害が明るみに出はじめ、企業として責任ある対応を求める声が世界中で高まりました。このような背景を経て、2011年の「国連指導原則」の採択をきっかけとし、各国において人権尊重の取り組みに関する法規制の施行やソフトロー化が急速に進められています。日本においてもこの潮流を受け、2020年には「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)(以下、「行動計画」)が日本政府により策定され、さらにその取り組みの促進のための「ガイドライン」が2022年に策定されました。これらの法規制やガイドラインでは、企業は自社・グループ会社のみならず、サプライチェーン全体における人権リスクを適切に管理・監督する責任があると定めています。例えば「国連指導原則」では、「たとえその影響を助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める」と記載しており、自社が直接人権に悪影響を及ぼしていない場合であっても、取引先による人権侵害が起こっていれば、防止や軽減に努めることを求めています。2024年7月にEUで発令された「企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)」では、一定の売上高等の要件を充足する企業(以下、「適用企業」)に、自社及び子会社の事業のみならず、「chain of activities」(*3)と定義された上流及び下流の事業活動全般に関する人権及び環境のデューデリジェンスの実施や開示等を義務付けています。2020年に日本で策定された「行動計画」においても、基本的な考え方として「サプライチェーンにおける人権尊重を促進する仕組みの整備」を実行計画に定めており、人権を尊重する企業の責任を促進するための政府の取り組みは国内外のサプライチェーン全体を対象としています。*3DIRECTIVE (EU) 2024/1760 OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL サプライチェーン上の人権リスクとその影響サプライチェーン上の人権リスクは多岐に渡ります。例えばメーカーでは、材料などの「調達」、「生産」、「販売」、「流通」等といった一連のプロセスによって事業活動が営まれますが、「調達」の段階では、鉱物資源の調達時における紛争地での人権侵害への加担といった人権リスク、「生産」では取引先の下請工場による児童労働や強制労働といった人権リスク等、全ての事業活動のステージにおいて、人が関与している限り、人権侵害が起こる可能性があります。そのため、一つのプロセスだけでなく、事業活動の全てのプロセスにおいて、サプライチェーン全体における人権リスクの可視化が求められます。図1 サプライチェーンにおけるコンプライアンスリスクこれらのサプライチェーン全体を含めた人権リスクの適切な管理・監督を怠ることで、中長期的には、レピュテーションの毀損、訴訟、ストライキといった多様な事象に対処する必要に迫られることになる可能性があります。人権リスクに適切に対応しない場合の経営リスクの例を挙げますと、例えば、サプライチェーン上の人権侵害が明るみに出ることで、不買運動などによる消費者購買の減少、取引先の調達基準を充足できないことによる取引停止、海外諸国において製品の輸入禁止措置を受ける等、売上や仕入への影響をきたす「オペレーションリスク」があります。また、昨今の欧州をはじめとする各国における法規制は、違反した場合多額の罰金を課す等の罰則が規定されている場合が多く、人権侵害を被った被害者などからの訴訟により、多額の賠償金の支払いが課される可能性があります。このような訴訟や訴訟対応コスト、法令違反による課徴金等による大幅なコスト増につながる可能性のある「法務・レピュテーションリスク」があります。さらに、法規制への違反の罰則として企業名を公表されるなどといった措置による企業イメージの悪化、それによる投資家からの評価減による株価の下落、などといった企業価値の毀損につながる「財務リスク」があります。こうした人権リスクを回避し、事業を安定的かつ継続的に維持するため、企業は人権を事業活動上の重要なリスク・ファクターとしてとらえ、その低減に努める必要があります。図2 人権対応への遅れがもたらす重要な経営リスク グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例人権を経営リスクとして捉え、サプライチェーンまで含めた人権デューデリジェンスに取り組むグローバル企業は増加傾向にありますが、関係企業や取引先といった一次サプライヤーまでリスク管理対象範囲としている企業は多い一方、その先の二次サプライヤー以降までをも管理対象としている日本企業はまだそれほど多くありません。当社が2023年に実施した「人権サーベイ2023」(上場企業を中心に約100社に対し人権意識や各企業の取り組み状況を調査)では、「サプライチェーンにおいて、どこまでをリスク把握・管理の対象としていますか」といった質問に対して、約9割の企業が2次サプライヤーまで人権リスクを把握できていないと回答しました。図3 サプライチェーンにおけるリスク把握・管理の対象範囲出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社「人権サーベイ2023」ここで実際に、二次サプライヤー以降で発生した人権侵害への責任が、発注元の企業に問われた事例(*4)を紹介します。グローバルに事業を展開するD社、S社、T社、N社は、ライセンス使用権限をタイにあるライセンシー(元請け)に譲渡し、元請けは、下請けの縫製工場(A工場、B工場)に依頼し、キャラクターグッズ等の製造を依頼していました。2019年、複数の下請工場において、ミャンマーからの移民労働者に対し、最低賃金に満たない給与を支払っていたことが判明しました。図4 グローバル企業におけるサプライチェーン上の人権侵害の事例当局はA工場、B工場のオーナーに未払い分の給与を労働者に支払うよう命じ、A工場のオーナーは、約18百万タイバーツ(日本円換算で約79百万円)の補償金を支払いました(図4①)。一方で、B工場のオーナーは、家宅捜索後に事業を閉鎖したため、約3.5百万バーツ(日本円換算で約15.4百万円)分の未払い賃金が支払われない状態となりました。そこで労働者たちは、裁判所に訴訟を起こし、B工場のオーナーに未払い賃金の支払いを求めました。結果、労働者はB工場のオーナーから約1百万バーツ(日本円換算で約4.4百万円)の未払い賃金の支払いを受けることで和解に合意しました(図4②)。しかし、残りの2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については未払いのままとなりました。このような状況において、世論から発注元であるトップブランドの各社(D社、S社、T社、N社)においても、サプライチェーン上の労働者に対し未払い賃金の支払い責任を負うべきだといった批判の声があがりました。結果、残りの未払い賃金2.5百万バーツ(日本円換算で約11百万円)については、発注元各社が労働者に対し直接補償を行うこととなりました(図4③)。また、発注元各社は補償対応をより迅速に行うべきであったと、対応への遅れに批判の声が挙げられました。このように、直接契約等の効力が及ばない二次サプライヤー以降であっても、サプライチェーン上で発生した人権侵害への対応や賠償が要求されたり、自社製品やブラント、レピュテーションへ影響したりする、といったリスクがあります。グローバルにビジネスを展開する企業にとって、サプライチェーンの持続性を保つことは不可欠であり、リスクの低減を図るためには、高い管理水準をサプライチェーン上の企業にも適用することが肝要です。*4Thailand: Starbucks, Disney, Tesco & NBC commit to compensate illegally underpaid migrant garment workers in their supply chains - Business & Human Rights Resource Centre サプライチェーンにおける人権リスクへの対応企業はサプライチェーン全体を含めた人権尊重責任を果たすため、サプライチェーンの段階に合わせて人権リスクへの対応を実施していく必要があります。図5 サプライチェーンにおける人権リスクへの対応図5は、サプライチェーンの広がりに応じた人権リスクへの統制について示したものです。本社においては、自社内におけるガバナンスと統制を効かせることで、人権リスクを低減することが可能です。次に、日本や海外にある子会社に対しては、資本関係や株主権限によるガバナンスを利かせることができる範囲であり、人権リスクの発生を抑えていくことが可能です。次にサプライヤーの階層ですが、一次サプライヤーとは契約書を締結するので、契約書に人権条項を入れる形で影響力を高める法的アレンジメントが可能となります。ただし、人権条項の内容によっては努力義務に留まるなど、実効性の確保には相応の努力が必要となります。さらにその先の二次サプライヤーや三次サプライヤー等については、本社と直接的な契約がないため、本社による統制が効かない範囲となります。資本関係や契約書などの直接的な関係性がないため、人権リスク調査などの対応は依頼ベースとなり、「交渉」が必要となります。二次サプライヤー以降など自社グループから遠くなればなるほど、サプライチェーンの統制は難しくなります。そのため、まずは、二次サプライヤー以降も含めたサプライチェーン全体の可視化を行い、それぞれのサプライチェーンにおける潜在的な人権リスクを調査したうえで、自社の事業特性などを踏まえて人権リスクを評価します。二次サプライヤー以降に対するリスク調査は、上記の通り依頼ベースとなるため、円滑なコミュニケーションを図ることができる、一次サプライヤーの購買担当者を窓口にするなどといった工夫が必要となります。また、リスク評価の結果、二次サプライヤーにおいて高リスクの人権リスクが発見された場合は、オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する等の対応を取ることが推奨されます。特に、それらの取引先が海外にある場合、対象となる従業員等は社会的に脆弱な立場にあるステークホルダーである可能性があり、より深刻な負の影響を受けやすいため、特別な注意を払う必要があります。オンサイトで人権デューデリジェンスを実施する際は、現地言語が通じる人員によるインタビューの実施、現地従業員がどのような人権侵害を受けたか判断するため、現地法律に対する理解が重要となります。これらに自社で対応することが難しい場合は、外部専門家の活用も選択肢となります。 おわりに欧米をはじめとする世界的な法規制や社会的要請が強まる中、サプライチェーンにおける人権侵害リスクを防止・軽減する取り組みは、企業の社会的責任を果たすために不可欠です。「人権」を重大な経営リスクと捉え、企業が人権を尊重した経営を実践することは、サプライチェーンに広がる多様な人権リスクを予防することにつながります。二次サプライヤー等自社グループから遠い場所から人権侵害が発生したとしても、人権侵害は自社製品/商品/サービスやブランドに直接的な影響があります。よって、自社のサプライチェーンを可視化し、自社の統制が直接効かない二次サプライヤー以降のサプライチェーンに対しても人権デューデリジェンスを実施していくことが求められます。「ビジネスと人権」シリーズ最終回は、人権を尊重する経営のためには、具体的にどのような取り組みを行うべきかを解説します。<<第2回 日本における「ビジネスと人権」の動向はこちらから第4回 人権を尊重する経営のための取り組みに続く>>関連書籍サプライチェーンにおける人権リスク対応の実務ー「ビジネスと人権」の視点で捉える、リスクの可視化とデュー・ディリジェンスの実践

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官民から見た、中堅企業の成長の可能性と課題(前編)

2025年2月6日、高い成長可能性を有する「中堅企業」にフォーカスした「Deloitte Private / 朝日新聞社 中堅企業フォーラム」が開催されました。官と民、それぞれの視点から中堅企業の「成長」と「挑戦」をテーマとした基調講演およびパネルディスカッションが行われ、中堅企業の可能性に多くの参加者が関心を寄せました。レポート前編となる本記事では経済産業省による中堅企業政策説明および、PEファンドと注目の中堅企業による基調講演の様子をお伝えします。藤木 俊光氏経済産業省 経済産業政策局 局長1988年、東京大学法学部卒業、通商産業省(現経済産業省)入省。商務・サービス審議官、製造産業局長、大臣官房長などを経て、2024年7月から現職。 藤森 義明氏シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン株式会社 最高顧問東京大学工学部卒業後、1975年に日商岩井(現・双日)に入社。1997年には米GEへ。2001年、アジア人初となるシニア・バイス・プレジデントに抜擢される。2008年、日本GE取締役会長 兼 社長 兼 CEOに就任。2011年には株式会社住生活グループ(現・LIXILグループ)の取締役代表執行役社長 兼 CEOに就任し、グローバル企業への飛躍をけん引した。現在は、武田薬品工業 社外取締役や日本オラクル株式会社 取締役会長などを務めている。 久世 良太氏株式会社サンクゼール 代表取締役社長2002年に入社したセイコーエプソン株式会社を経て、2005年より株式会社斑尾高原農場(現・サンクゼール)へ。経営サポート部部長や専務取締役などを経て、2018年より現職。 経済産業省 藤木氏 ~中堅企業の成長を促進する政策について~政府は2024年を「中堅企業元年」として、中堅企業の成長を後押しする政策を展開しています。まず、中堅企業の定義ですが、中小企業者を除く従業員数2,000人以下の会社等を指します。「中小企業を卒業した成長段階の企業」と言い換えられるでしょう。なぜ2,000人なのかというと、従業員数2,000人までは従業者規模の拡大と労働生産性が比例する一方、2,000人を超えると徐々にその相関が弱まってくるためです。では、なぜ中堅企業にフォーカスした政策を創設することになったのか。それは中堅企業が日本経済の成長に大きく寄与し得るセクターだと考えるためです。具体的には、国内外の売上高や設備投資額、従業員数・給与総額の伸び率が中小企業や大企業と比べて高水準であることが多く、中堅企業に国内投資を拡大し続けてもらうことが、日本経済全体が持続的に成長する上で決定的に重要であると考えました。加えて、大都市圏以外に立地する中堅企業が4割程度を占め、地方創生や地域経済の活性化という文脈でも中堅企業は欠かせない存在であることも補足しておきます。過去10年間における売上高は、国内外ともに中堅企業が大企業を上回る伸び率を誇る(引用):「成長力が高く地域経済を牽引する中堅企業の成長を促進する政策について」より一部抜粋|経済産業省政府は具体的にどのような政策を展開しているかですが、ここでは次の3つを紹介します。① 大規模成長投資支援② グループ化税制③ 人材マッチング促進事業まず「① 大規模成長投資支援」について、これは中堅企業が実施する思い切った設備投資に対して補助金を交付するというもの。投資下限額は10億円で、補助上限は50億円に設定しています。過去に実施した第1次公募・第2次公募ともに想定を上回る伸び申し込みをいただき、倍率は約7倍にも達しました。なお、採択社の平均投資予定額は約49億円です。続いて「② グループ化税制」について、中堅企業のグループ化を後押しする観点から、M&Aに係る税制面のインセンティブを付与しています。具体的にはM&Aを実施する際に損金算入できる株式取得価額の割合を現行の70%からM&A2回目は90%、3回目以降は100%に拡大するとともに、据置期間を5年間から10年間に大幅長期化する新たな枠を創設しました。最後に「③ 人材マッチング促進事業」では、求人ニーズに応じて、地域企業で活躍したい大企業の社員を地域の中堅企業等へ紹介しています。金融庁と連携して進めている事業であり、中堅企業等の実情に応じて、地域金融機関が人材プラットフォームに登録されたリストより人材を仲介する仕組みです。今後はこのような政策をさらに進化させ、経済産業省として中堅企業の自律的な成長を後押ししていきたいと考えています。シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン 藤森氏~中堅企業の成長に欠かせない「変革」の重要性~予想だにしない事態が起こる現代において、企業が成長を遂げるためには環境の変化に対応しなければなりません。例えば、米マイクロソフトは「パッケージソフトからクラウドへの移行」という世の流れの中で、WindowsやOffice製品中心のビジネスモデルからクラウド事業へと舵を切り、長く時価総額ランキングトップ10に名を連ねています。米マイクロソフトのように、環境の変化に応じてビジネスモデルを変革できる企業が厳しいビジネスの世界で生き残ることができるのです。私がかつて約4年にわたり経営に携わっていたLIXILグループ(現・LIXIL)も、変革を遂げてきた企業の1つです。まずその成り立ちからして同グループは、それぞれ異なる事業領域を持つ中堅企業5社が、新たなビジネスモデルの構築を企図して統合した企業になります。さらに、当時の時価総額と同等の5,000億円の借入金を用いて世界の名門企業を次々と買収し、グローバル化も推し進めていきました。LIXILグループは変わりゆく環境に対応しているからこそ、成長を続けているのです。一方、「コンフォートゾーンに入りたがる」「変革を嫌う企業文化がある」などの理由から、なかなか変革が進まない企業も一定数存在します。変革を起こすためには「今の状態のままではいけない」という危機感を醸成したり、皆で到達したいビジョンを掲げたりすることが有効です。私は、安住の世界(コンフォートゾーン)からの脱却が変革の第一歩になるのではないかと思います。私たちPEファンドもまた、変革によって飛躍し得る中堅企業の潜在力に着目して投資をしています。潜在力を持っている企業とは何かしらの課題があるということ。中堅企業は多かれ少なかれ課題を持っており、その問題を解決すれば中堅企業は必ず成長します。中堅企業が持っている潜在力は自分達が一番分かっているでしょう。引き続きPEファンドとして海外のネットワークも駆使しながら、これからの日本を支える中堅企業のご支援をしていきたいと考えています。サンクゼール 久世氏~中堅企業の成長の軌跡~今回は中堅企業の当事者として、サンクゼールの成長の軌跡をお伝えしていきます。1979年に創業した当社は、「久世福商店」や「サンクゼール」などのブランドを展開している、食のSPA企業です。売上高は191億円(2024年3月期)、従業員数はアルバイト・パート含め811名(2024年3月末時点)です。当社の歴史は、私の父親が始めたペンション経営から始まります。そのペンション内で私の母親がリンゴジャムを提供し始めたところ、お客様の間で大変評判となり、ジャムの企画販売を開始しました。地道に営業活動を行ったこともありジャムはよく売れましたが、徐々に後発の模倣品も出回るようになります。さらに製造委託先の工場で契約外の原材料が使用されていたことも発覚しました。こうした現状を踏まえ、理想の生産者を目指して自社工場での生産をスタートさせます。しかし、卸売業であるがために、主要な取引先からは値下げ要求を受け、何より商品の良さを直接お客様に伝えることができないという苦悩を抱えることになりました。そこで自社店舗を持つ決断をし、軽井沢に直営1号店をオープンします。季節変動の激しい信州では、閑散期になると売り上げが非常に落ち込みます。そのため直営店1号店をオープンして以来、外へ外へと販路を拡大し、全国47店舗にまで出店することで売り上げの安定化を図りました。売上高は30億円を突破します。しかし、ここでもまた、デベロッパーからの声が激減したり、ブランドの旬が過ぎたりと様々な壁にぶつかります。このまま5年も経てば主力事業の売上は下がり、会社として立ち行かなくなるだろうことは目に見えていました。そんな停滞期にあった当社が着手したのが新業態ブランド「久世福商店」の開発です。新業態プロジェクトでは、ブランドコンセプト・店舗開発・物流拠点・システム開発・商品開発、それぞれの組み合わせにより付加価値を高めること、つまりイノベーションを起こすことを意識しました。例えば商品開発では提案書を持って逸品を探しに全国の生産者の方に会いに行ったり、また店舗開発では店舗イメージとなる「大正ロマン」が細部にまで表現されているかどうかを模型で確認したりしました。こうして発想のヒントを得てからわずか1年後の2013年12月に久世福商店の第1号店をオープンしました。その後、全国にスピード出店をしていき、売上高は2013年5月期の36億円から2024年5月期には191億円にまで拡大することができました。当社は“季節変動が大きい”という一見弱みにも思える特色を持つ信州に生まれたからこそ、全国展開ができる素地が整いました。当社のこれまでの歴史を踏まえても、企業というのは、地域の特色を活かして弱みを克服することで独自性を持ち、やがて中堅企業へと成長していくものだと考えています。これからも地域経済のために尽力していきたいと思います。官民から見た、中堅企業の成長の可能性と課題(後編)に続く>>

社会

マラソンが切り拓く北海道 地方創生の新たな形

写真:北海道の別海町パイロットマラソンの完走賞で名産品の鮭1匹を受け取った、65BASE阿萬さん、杉本さんと、編集部川端人口減少や財政難が進む中、地方には「自ら稼ぐ力」が求められています。各地方の自治体、企業が策を講じていますが、地元にある産業だけではこれ以上大きく稼ぐことは難しいのが現状です。新たな収益源を探している中で注目されているのが、スポーツを活用した地方創生です。スポーツイベントは人の流れと熱量を地域にもたらし、観光や経済へ大きな波及効果があります。地元住民の参加や協力を通じて一体感も生まれ、地域ブランドの再構築にもつながるためスポーツは今、地方の未来を切り拓く戦略的なツールとして期待されています。その中でも特にマラソンは参加のハードルが低く、地域資源を活かしたコースづくりにより、地域の魅力を効果的に発信できます。今回は、北海道で65BASE代表を務め、北海道応援観光隊として市民ランナー向けのイベント企画やゲストランナーとして北海道を盛り上げる阿萬香織さんにお話を伺いました。(聞き手:編集部川端)阿萬 香織株式会社65BASE 代表取締役 北海道応援観光隊 札幌観光大使北海道応援観光隊、札幌観光大使、北海道マラソン2025応援サポーター。カゴメ株式会社の営業に従事する傍ら、2022年に株式会社ROKUGOUBASEを設立。道内外のマラソン大会のゲストランナーや道内のイベントを企画して、市民ランナーに走るきっかけと魅力を与えている。 杉本 晴美株式会社65BASE スタッフ65BASE コアスタッフとして運営をサポートする傍ら、自身も市民ランナーの一人として千歳JALマラソン、洞爺湖マラソン、別海町パイロットマラソンを始め道内外多数のマラソンに出走。道内各地のイベントにも足を運ぶ。 スポーツを通じた地方創生の可能性写真:北海道マラソン出走前の65BASEメンバーと市民ランナーさん――阿萬さんは北海道応援観光隊、札幌観光大使として北海道の魅力を伝える役割を担っていますが通常の観光・旅行ではなくスポーツという切り口で活動されていますね。阿萬さん北海道には、各地に魅力的な農産物や観光スポットが数多くあります。スポーツイベントは、そうした地域の魅力を知っていただくきっかけになっていると感じます。例えば「富良野山部ウォーク・ラン&イート」では、緑あふれる自然の中を歩いたり走ったりした後に、地元の名産であるトマト、アスパラ、メロンなどを楽しんでいただける企画が用意されています。ランニングイベントは、運動を通じた健康づくりの場であると同時に、地域の魅力を伝える機会にもなっています。また、都市部からの参加者を迎えるだけでなく、地域の方々同士がつながる場にもなっており、地域内のコミュニケーションが生まれている印象です。外から人を呼び込むだけでなく、地域の内側で生まれるつながりを大切にしていく。そうした積み重ねが、結果として地域の活力につながっていくのではないかと感じています。杉本さん65BASEのスタッフとしてランナーの皆さんをサポートしたり、自らランナーとして参加したりしながら、日々活動に関わっています。スタッフという立場でも、道内各地のイベントを地域の方々と一緒につくり上げていくことに、大きなやりがいと喜びを感じています。写真:夕張バリバリメロンラン 2025 公式Webサイト(https://baribarimelonrun.studio.site/)――ランニングイベントでは夕張市でのマラソン大会が話題になりました。財政破綻からの再建が苦戦する中で、あらたな地方創生策として注目されています。阿萬さん夕張市は、誰もが知るメロンの名産地でありながら、人口減少の影響を受け、財政面では厳しい状況が続いています。そうしたなか、地域の魅力を発信しようと、2022年から「夕張バリバリメロンラン」が開催されています。完走後には、名産の夕張メロン半玉を味わえるユニークな仕掛けもあり、夕張らしさが随所に感じられるイベントです。初心者や親子でも気軽に参加できるような工夫が施されており、昨年はリピーターに加えて新たな参加者も増加。今年はさらに多くの盛り上がりが期待されています!スポーツイベントを“地域資産”に変えるには――イベントを活用した地方創生を考えると単発ではなく継続的に開催していく体制が必要になります。スポーツイベントを定着させるには、どのような点が重要でしょうか。阿萬さんイベントを単発で終わらせず、“年中行事”として地域に根付かせていくためには、地域の方々の理解と協力が欠かせません。ランニングイベントは、行政だけでなく、地元の市民ランナーがペースメーカーとして参加したり、地域の方々が給水所でボランティアを務めたりと、まさに地域一体となってつくり上げられています。中には、「地域やイベントを盛り上げたい」という想いで、熱心に関わってくださる方もいらっしゃいます。地域の皆さんが「これは自分たちのイベントだ」と感じられるようになれば、自然と年中行事として定着し、参加者の満足度も高まっていくのではないでしょうか。とはいえ、実際には赤字で運営されているイベントもあり、継続には様々な課題も残されています。地域に根差した持続可能な取り組みとして育てていくためには、工夫と同時に、覚悟も必要だと感じています。――豊富な自然・文化・人材とスポーツイベントを組み合わせることで、その「地域資産」をより有効に活動できるということですね。阿萬さん65BASEを立ち上げた当初は、活動の中心は札幌周辺のイベントでしたが、現在では道内各地へと足を運ぶようになりました。今年は、稚内、北見、釧路、富良野等で、地元の方々と一緒にイベント内容を考え、実施します。また、夕張バリバリメロンランのほかにも、最東端・根室で開催される「根室シーサイドマラソン」、「カムイの杜トレイルラン」、「白旗山トレイルレース」、「スィートガールラン」、「釧路空港マラソン」など、応援サポーターという形で盛り上げさせていただきます。私たち65BASEは、スポーツを通じて人と人とがつながるプラットフォームとなることを目指し、これからも活動を続けていきます。地方が抱える課題の中にはスポーツによって解決できる課題、果たせる役割があります。特にマラソンは、ただのスポーツを越えて人や地域の想いをつなぐ「場」になる特徴を持っています。走ることで地域と未来をともにつくっていく、そんな動きが、北海道から静かに、しかし確かに広がっています。北海道の主なマラソン大会一覧

イノベーション

フェムテック(Femtech)を活用した女性の健康課題の解決と働きやすい職場づくり

政府は、生理、更年期症状、婦人科がん、不妊治療など女性の健康課題による経済損失は年間3.4兆円と試算しています(*1)。日本は労働人口が減少し、男女格差の是正と女性のいっそうの活躍が必須となっており、企業には様々な人材が長く健康に働き続けられる環境の整備が求められています。テクノロジーで女性の健康課題を解決するフェムテックのスタートアップからは、企業経営にとって注目すべき様々な製品やサービスが創出されています。女性が長く健康に働き続けられる職場づくりが求められている2020年は日本の「フェムテック元年」となりました。デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社(DTVS)インダストリー&ファンクション事業部 ヘルスケアユニット中井 美奈は、「新型コロナによる失業や健康・メンタル不調は女性へのインパクトが大きく、企業・雇用側もサスティナビリティの観点から、女性の健康を重要な経営課題として認識し始めました」と指摘します。同年は自民党内でもフェムテック振興議員連盟が発足しました。まだ一般的な認知度は不足していると言わざるを得ませんが、2022年に不妊治療の保険適用拡充、2023年に東京都が卵子凍結にかかる費用の助成を開始、2024年に子ども家庭庁がプレコンセプションケア(妊娠前の健康やライフプランの管理)に関する検討会立ち上げなど、市場は追い風となっています。中井は「人材確保、女性活躍、働き方改革など様々な点から、企業経営にとって女性の健康は重要なテーマです。デジタル世代が出産・育児世代になり、部長や役員などのリーダーが更年期世代となる中、福利厚生サービスの多様化と現代化が求められており、Femtechへの注目が高まっています」といいます。生理によるパフォーマンス低下、キャリアと出産・育児の両立、不妊治療や更年期障害などによる離職など、女性の悩みは多岐にわたります。生理休暇は法定休日ですが、それ以外の対応が未着手の企業が大多数ではないでしょうか。上述の経済損失に関する政府調査では、女性側は「職場の支援が不足している」と感じており、企業側は「何をすればいいかわからない」と考えていることが示されています。本稿では、DTVSのモーニングピッチ(*2)に登壇したスタートアップの中から、ヘルスケア技術で女性の健康と活躍を支援する注目企業3社をご紹介します(社名50音順)。各社の代表が言及しているように、まさに今、企業・行政含め社会全体での取り組みが求められているといえるでしょう。【インテグロ】月経カップのパイオニアとして女性の健康課題に取り組む 神林 美帆氏インテグロ株式会社代表取締役2005年から米国ドライマウス向け口腔ケア商品の日本市場立ち上げに従事。青山学院大学大学院国際マネジメント研究科にてMBA取得後、2016年に月経カップと吸水ショーツに出会い、「日本の女性たちにもこの製品を広めたい」との思いから、2018年に事業を立ち上げる。 現在では月経カップは通販やドラッグストアで手軽に購入できますが、神林美帆氏が米国メーカーの製品を輸入販売するビジネスを立ち上げた2018年頃は、日本での認知度はほとんどありませんでした。月経カップは、生理用ナプキンによる蒸れやかぶれなどの肌トラブルを回避できる、経血の漏れが起きにくい、運動時や温泉などでも使いやすい、繰り返し使えゴミが出ないためエコであるなどのメリットがあります。神林氏は「使ってみたところ、驚くほど快適でした。女性なら誰もが感じる煩わしさや悩みを解決できると考えました。起業を考える前に、大学院のソーシャルアントレプレナーの研究でインドのムルガナンダム氏(生理の問題に苦しむ女性のためナプキンを開発、『パッドマン』として映画化された)を取り上げたのですが、縁を感じます」と創業時の思いを振り返ります。「生理について話そう」をキャッチコピーとしたブログで、様々な立場や年齢の女性のライフスタイル、生理ケア、月経カップの体験談などについて情報発信を行いました。フェムテックに注目が集まった時期と重なり、メディアの取材が舞い込み、ブログの閲覧数も飛躍的に伸びました。神林氏は、「100回以上メディアに取り上げられました。生理が女性の生活や健康にとって大事な課題であると認識されるようになったことには貢献できたのではないかと思います」と、市場を開拓してきた経験を語ります。日本では、月経カップに対する抵抗感が強くメジャーな生理ケア用品にはなりにくいという課題はありますが、ユーザは徐々に増えてきています。インテグロは、女性が働きやすい環境作りを支援するための研修も行っており、2025年1月には千葉市消防局で生理研修を行いました。男女ともに参加し生理への理解を深めると同時に、女性職員が適切なタイミングで生理用品を交換するのが難しい消防や救急の現場でも不安なく月経カップを利用できそうだ、という前向きな意見を得られました。経血で健康を管理するアプリで新ビジネスを開拓同社のビジネスは、女性のヘルスケアに関心と熱意を持ったユーザーのコミュニティ形成につながり、経血で健康を管理するアプリ提供という新たな展開を迎えています。2023年に、香川大学医学部の鶴田准教授から、月経カップで正確な経血量を量る研究への協力依頼を受け、ユーザに呼び掛けたところ即座に必要な人数が集まりました。経血量を普通と自己申告したユーザのうち2割もの人が実際には治療が必要な病気が原因となっている可能性もある過多月経であるという研究結果が得られました。この研究を契機として、カップに溜まった経血量などを記録するアプリ「Oh My Flow」を開発し、2024年11月に正式リリースしました。アプリユーザからは、婦人科を受診した際、アプリのデータを見せると医師から診断に非常に役立つと言われたというフィードバックも得られたそうです。また、最近は世界的に経血の検査や研究が進み、資金も集まっています。血液検査や尿検査のように様々な疾患の発見につながることが期待されます。将来的に、経血を使った検査が一般的になる可能性もあると考え、インテグロは、大学や医師らとの連携による研究に着手しています。【Varinos】世界初、難易度の高い子宮内フローラ(菌環境)検査を実用化 桜庭 喜行氏Varinos(バリノス)株式会社代表取締役CEO埼玉大学で理学博士を取得後、理化学研究所、米国セントジュード小児病院等にてゲノム関連の基礎研究に従事。GeneTechで検査技術部長を勤め日本に初めて新型出生前診断(NIPT)を導入、イルミナで産婦人科分野の遺伝学的検査の市場開発に携わる。2017年に起業。 遺伝学・ゲノム解析の研究者である桜庭喜行氏が、2016年に子宮内の菌環境と妊娠・出産の関係に関する海外論文を読んだことが創業のきっかけでした。乳酸菌の一種である善玉菌のラクトバチルスの割合が高い人と低い人を比較すると妊娠率や出産率が異なるという基礎研究論文でした。ゲノム解析技術を応用し、世界でまだ実用化されていなかった子宮内フローラ検査を提供したいと考え、2017年にVarinos(バリノス)を設立しました。ゲノム検査を行えるラボを社内に設け、全国の医療機関から送付された検体を、次世代シーケンサー(遺伝子解析装置)などの専門装置を使って解析します。利用者が負担する費用は4~6万円、厚生省から先進医療に認定されており、保険診療の不妊治療との併用が可能です。B2Cで子宮内フローラを良くするためのサプリメントの販売も行っています。腸内フローラは認知度が高く「腸活」も人気ですが、桜庭氏は、腸と子宮では全く違ったと言います。「最初は私もコンセプトは同じなので実用化は簡単だろうと思っていましたが、腸内フローラの検査技術を応用するレベルでは歯が立ちませんでした。近年まで子宮は無菌とみなされていたほどで、菌の数がごく僅かなのです」と技術的な難易度の高さを示します。また、「検査機器などに設備投資が必要となるため、アーリーステージでの資金調達には苦労しました。時期的に不妊治療が保険適用される以前に、自由診療の枠組みの中でビジネスを確立できたのは幸いでした。スタートアップが新たに検査を開発しても、保険診療下では自由診療との混合診療が原則禁止されているため、ビジネスとして成り立たせるのは非常に難しいと言えます」と、日本は革新的なゲノム技術を事業化するハードルが高いという課題も指摘しました。バリノス内のラボ妊娠出産を望む女性に、情報と技術を届けたい不妊治療をしている患者の検査では、約5割の菌環境が良くないという結果が出ているそうです。子宮内フローラが不妊の一因である可能性があるなら、治療によって改善し、妊娠の確率を高めることができます。大勢の女性が心身の負担に悩みながら長期間不妊治療を受けている現状を改善するため、より多くの女性に検査を受けてもらいたいと考えています。創業以来累計5万件の検査を行ってきましたが、ラボは現在の10倍の検査量でも対応できるキャパシティを備えています。医療機関への働きかけを含め認知度向上を図るほか、補助が受けられる自治体の一覧を自社ホームページで公開するなどの取り組みを進めています。桜庭氏は、「不妊治療は社会課題となっています。女性自身にとっても、女性を雇用する企業側にとっても、妊孕性(妊娠する能力)は35歳以降、急激に低下するなどの基本的な知識の底上げや、プレコンセプションケアの推進、また働きながら不妊治療を受けやすくする制度の整備などが求められています。スタートアップ、大企業を含め民間からの草の根活動が必要と感じています」と語りました。 【BeLiebe】卵子の数を知る検査をきっかけに女性の人生計画を後押し 志賀 遥菜氏株式会社BeLiebe(ビーリーブ)代表取締役CEO東京大学大学院で医療生命科学の研究に従事。新卒で外資系消費財メーカーに入社。バイオとジェンダーに関する領域での研究の社会実装を実現すべく、2021年にパラレルキャリアとして起業。 BeLiebeの事業の目的は、卵巣に残っている卵子の数の推定するAMH(抗ミュラー管ホルモン)検査を活用した、女性のキャリアアップとライフプランの支援です。卵子の数は加齢とともに減少し、増えることはありません。個人差が大きく、AMH検査の結果から、子どもを持ちたいと思った時に卵子の数が少ないことが分かることもあります。志賀遥菜氏は、「卵子の数を知ることをきっかけとなり、その後の行動変容につながります。女性自身が、仕事と妊娠・出産のプランを現実的に考えることができるのです」と語ります。志賀氏は大学院で生物科学を専攻した研究者です。バイオとジェンダーに関する領域でテクノロジーの社会実装を行いたいと考えていた時にAMH検査に出会い、起業しました。医療機関では不妊治療で用いられる検査ですが、働く女性がヘルスケアの一環として手軽に行える血液検査キット「EggU(エッグ)」を提供します。看護師・助産師など有資格者によるカウンセリングとセットになっている点も特徴です。カウンセリングを通じて、未婚・既婚、子供の有無、仕事の状況など、ライフステージやキャリアプランを踏まえたアクションプランを作成することができます。志賀氏は大学院卒業後に外資企業に就職しました。AMH検査を受け、自身の検査結果から出産を先延ばしにはできない体だと分かり、現在は育児をしながらBeLiebeの事業を推進しています。「実は、本当に子供が欲しいのか海外勤務などキャリアを優先したいのか、自分の気持ちがよくわからなかったのです。検査によって自分事として考えることができました。働く女性たちに考えるきっかけを提供したい」と経験を語りました。男性従業員を含めた企業の健康経営を支援ビジネス拡大において重視しているのは、大手企業との提携による健康経営の支援です。これまで、トヨタ自動車、阪急阪神不動産、三井住友海上火災保険、マネーフォワードなど様々な企業がモニター検査プログラムに参加しました。企業の福利厚生サービスとして定価31,900円(税込)のキットを割引価格で販売するなど、従業員の利用を促します。女性従業員のキャリア形成支援として活用されるだけではなく、男性の関心も高くパートナーのために購入するケースも多いそうです。今後の展望としては、①AMH検査以外のヘルスケア技術の研究②女性のトータルライフキャリア支援の2点を挙げます。志賀氏は「出生数の低下、女性リーダーの育成がともに社会課題となっている中、創業からの理念は1つ、『女性が挑戦することを諦めない』です。生涯を通じた女性の健康課題の解決に貢献したいのです。手段はAMH検査以外にもいろいろあるでしょう。しかし、ライフステージに合った女性のヘルスケアに関する認知は圧倒的に不足しています」と言い、企業および行政を含めた社会全体での取り組みの重要性を強調しました。*1 経済産業省「女性特有の健康課題による経済損失の試算と健康経営の必要性について」(2024年2月)https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/jyosei_keizaisonshitsu.pdf*2 デロイト トーマツ ベンチャーサポート Morning Pitchhttps://morningpitch.com/

社会課題の解決に挑むスタートアップ
研究員の視点

トランプ2.0時代、戦略的価値が高まる北極圏――日本はどのように関与すべきか?

気候変動により氷が溶けだした北極圏は、新たな航路と資源をめぐる大国同士の競争の場となってきた。ロシアや中国、米国、欧州諸国が新たな海上ルートと鉱物資源の確保を目指し、北極圏の地政学的価値は急速に高まっている。その一方で、北極圏におけるガバナンスの欠如、インフラ未整備や砕氷船の不足などといった構造的課題も顕在化している。新たな国際秩序の構築が進む北極圏で、海洋国家・日本も「価値観を共有する国との連携」「民間企業との連携」を強化し、積極的な関与を進めていくべきだろう。近年、北極圏は「周縁的な存在」から「戦略的要所」へと姿を変えつつある。氷の融解により、新たな航路や天然資源採掘の可能性が開かれ、ロシア、中国、米国、欧州諸国間の競争が激化している。特に、米国のドナルド・トランプ大統領による「グリーンランド購入」発言は、北極圏が地政学的に重要な地域であることを世界的に印象付ける出来事となった。本レポートでは、北極圏をめぐる地政学的動向を整理したうえで、日本の関与の可能性とその意義について検討したい。北極圏の戦略的価値―新たな航路と資源開発北極圏とは、北緯66度33分以北の地域であり、この地域に所在する、カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国の8カ国のことを「北極圏国」という(※1)。夏至ごろには、太陽が沈まない「白夜」が、冬至ごろには、太陽が昇らない「極夜」が起こる地域であり、年中を通して気温が低く、極端な日照・気温変動を特徴とする。図1 北極圏(データソース)The Arctic Instituteの地図しかし近年、気候変動の影響を受け、北極圏の海氷域面積は急速に縮小している。国立極地研究所と宇宙航空研究開発機構(JAXA)の調査によると、2025年3月の北極海氷域面積は、衛星観測史上最小値を記録したという(※2)。この現象は、「北極増幅(Artic Amplification)」と呼ばれ、北極圏の温暖化速度は、地球の他の地域と比較して約4倍の速さで進んでいる(※3)。北極は広大であり、地球全体の約4%を占めることから、生態系や地域住民に大きな影響を及ぼしている。世界の大国は、こうした環境変化を背景に、北極圏が生み出す新たな可能性に注目している。第一に、新たな航路開拓がある。気候変動による海氷面積の縮小に伴い、東アジアと米国、ヨーロッパと東アジアを結ぶ新たな海上ルートが注目を集めている。その主要な海路は、ロシア近辺の北東航路(Northern Sea Route: NSR)、北米側の北西航路(North-West Passage: NWP)、北極海を横断する北極海航路(Transpolar Sea Route: TSR)の3つである(※図2参照)。図2 北極圏の航路(データソース)The Arctic Instituteの地図とりわけ北極海航路(TSR)は、新たな海上輸送ルートとしての期待が大きい。例えば、横浜港からドイツのハンブルク港までの航行距離を比較すると、北極海航路を利用すると約13,000kmであり、マラッカ海峡、スエズ運河を経由する「南回り航路」(約21,000km)よりも、航行距離を約6割に短縮できる(※4)。これにより、燃料コストが削減できるだけでなく、環境負荷の低減や、政治的に不安定な地域、海賊被害のリスクを回避できるという利点もある。ロシアは長年にわたり、北極海航路(北東航路を含む)の商業化を積極的に推進してきた。北極圏での経済活動は、ロシアのGDPの10%、輸出の20%を占め、同国の経済成長にとって重要な役割を果たしている。とくに北極圏は、ロシアの天然ガス生産量の約90%、原油生産量の約17%を担う地域だ(※5)。ロシアの国営企業によると、北東航路(NSR)の輸送量は2010年以降拡大し続けており、2024年の輸送量は過去最高となる3,790万トンに達した(※6)。ロシアにとってNSRは、ヨーロッパを回避して中国とロシアを直接結ぶ航路でもある。ウラジミール・プーチン大統領は、2020年3月、今後15年間を見据えた北極戦略、「2035年までのロシア連邦北極圏の国家政策の基本原則」を策定し(※7)、その中で北東航路(NSR)を「世界的に競争力のある国家輸送回廊として発展させる」ことを明記した。政府が優先的に開発を支援するクラスターを創設し、選定された輸送、エネルギー、社会(NSR寄港地周辺の開発を含む)プロジェクトに資金を集中させる方針を明確化した。しかし現状では、北極海航路の通航コストは依然として非常に高額だ。たとえば、ロシアの砕氷船をチャーターする費用や、氷に耐えうる特殊仕様船舶の建造費用は高く、さらにシベリア沿岸の港湾施設も未整備だという課題もある。プーチン大統領は、2018年に、「2024年までにNSRの輸送量を8,000万トンに引き上げる」という目標を掲げたが、現状では、その輸送量到達は見込めていない。加えて、ウクライナ侵攻後の西側諸国による対ロ制裁が目標達成を一層困難にしている。いずれにしても、NSRの輸送量を拡大できるかどうかは、航路沿いにおけるエネルギー開発プロジェクトの進捗状況に依拠するだろう。また、北西航路(NWP)については、国際海事機関(IMO)は、気温が4℃上昇するとNWPの航行可能日が14~31日増加すると予測している。クルーズ業界は、NWPを「21世紀最後のフロンティア」と位置づけ、例えば世界遺産のイルリサット・アイスフィヨルドを訪れる探検ツアーなど、新たな観光コンテンツを展開している。注目される第二の点として、エネルギー・鉱物資源開発がある。北極圏には豊富なエネルギー・鉱物資源が眠っているとされ、地球温暖化に伴うアクセスの容易化を背景に関心を集めている。具体的には、金、錫、ニッケル、銅、白金、コバルト、鉄鉱石、石炭、燐灰石(アパタイト)といった鉱物資源が産出されるという。なかでもデンマークの自治領であるグリーンランドには、レアアース、黒鉛、ニオブなど、米国の国家安全保障や経済安定に不可欠である50種類の鉱物のうち約39種類があるとされ、戦略的重要性が増している。なお、経済的価値が高く、産業・技術の発展や脱炭素化社会の実現に不可欠な鉱物は「重要鉱物」と称され、日本でも安定供給確保のために、特定重要物資として指定されている。米国地質調査所(USGS)の推計によると、北極圏には、全世界の未発見石油資源の約13%、天然ガスの約30%が埋蔵されているとされ、その多くがロシア領海に存在するとされている(※8)。ロシアの北極開発を牽引するのは、ヤマルプロジェクトだ。シベリア北西部のヤマル半島は、ロシアにおける液化天然ガス(LNG)貿易の中心地であり、2010年代後半ごろから、LNGの開発プロジェクトが本格化し、北極海航路を経由して、中国をはじめアジア各国へ輸出されるようになった。北極圏国以外からの関心も高まり、中国や韓国企業などがこれらの資源開発プロジェクトに参画している。北極海航路の利用拡大が進む中、輸送管理収入を国内の造船産業に還流させる目的で、ロシア政府は、2021年に「北東航路(NSR)を経由して炭化水素および石炭を輸送できるのはロシア製船舶に限定する」とする法律を策定し、北極海航路の囲い込みを強化している。またカナダ政府は北西航路を自国の内水の一部と位置づけて管理権を主張しており、北極圏をめぐる利権競争は既に激化している。トランプ氏の「グリーンランド購入」発言の背景―ロシアや中国のプレゼンスの拡大上述のとおり、トランプ大統領による「グリーンランド購入」発言は、日本でも大きな話題となった。グリーンランドがこのトランプ氏の発言に反発しているなか、2025年3月に、トランプ政権高官やJD・ヴァンス米副大統領がグリーンランドを訪問したことで、グリーンランド自治政府はデンマークとの連携をいっそう強化し、米国からの圧力に対抗する姿勢を明確にしている。そもそも、なぜトランプ氏は、グリーンランド購入に意欲を示しているのか。これは、今に始まったことではなく、第1次政権の時から、グリーンランド購入に言及してきた(※9)。当初は、温暖化によって開発が進むと見込まれる航路や資源の確保という、いわば「不動産投資」的な視点があったとされる。しかし近年、北極圏の戦略的価値が軍事・安全保障の観点からも急速に高まっており、米国の関心のあり方もより地政学的覇権へと移行している。特に、ロシアや中国による北極圏でのプレゼンス拡大は米国の警戒感を強めている。中国は、北極圏国ではないため、北極圏における領土、資源採掘、漁業に関する主権を有していないが、自らを「準北極国家(near-Arctic state)」および「北極関係国(Arctic stakeholder)」と位置づけ、2013年に日本や韓国などと同時に北極評議会(Arctic Council: AC)のオブザーバー資格を取得した。北極評議会は1996年に、北極圏国8か国が設立したハイレベル・フォーラムであり、持続可能な開発、環境保護など共通課題への協力を促進することを目的としている。中国は2018年に、初の公式北極政策文書「中国の北極政策」を公表し(※10)、一帯一路構想の一環として「氷上シルクロード(Polar Silk Road)」を推進するなど、北極開発に積極的に関与する姿勢を打ち出した。安全保障面には直接言及していないものの、“商業目的”での活動領域を拡大(権益拡大)する意図を明確にしている。北極政策では、北極調査、生態系保護と気候変動への取り組み、氷上シルクロードの建設と持続可能な北極資源の利用、そして北極圏のガバナンス形成への積極的関与と国際協力の推進などが掲げられた。2022年のウクライナ侵攻後、西側諸国の制裁により国際的に孤立したロシアは、北極圏での戦略的パートナーとして中国との関係を強化した。中国が装備品を提供する代わりに、ロシアは中国に対して、北極圏の資源へのアクセスを事実上容認しているとの見方もある。実際、2023年には、中国の海運会社が、サンクトペテルブルクと中国を結ぶコンテナ航路を北東航路(NSR)経由で開設(※11)。西側諸国による対ロ制裁が強まるなかでも、中ロ間の物流協力は拡大傾向にあり、氷砕船の共同建造や液化天然ガス(LNG)インフラ開発などの分野でも連携を強めている。北極圏における主導権争いは、単なる資源獲得競争にとどまらない。この地域の支配は、資源採掘や港湾建設による経済的利益だけでなく、軍事的な拠点の確保という意味でも極めて重要だ。北極海は、戦略原潜による核抑止力の運用基盤としても注目されており、氷下での潜航によって追跡が困難であることから、第二撃能力(セカンドストライク・ケイパビリティ)を担保する理想的な環境とされる。2024年10月には、中国の海警局(沿岸警備隊)が初めて北極圏に入り、ロシア軍と共同哨戒(joint patrol)を実施した。ロシアは、北極圏を戦略兵器(strategic weapons)の貯蔵拠点として活用しており、特に核戦力が集中するコラ半島には、伝統的な「北方艦隊」が駐留している。中ロによる北極圏でのプレゼンス拡大に対し、米国を含むNATO諸国の対応は後手に回っていたが、米国は、2022年に、「北極域国家戦略(National Strategy for the Arctic Region)」を発表。これまで軽視されがちであった米国の北極圏政策を「緊急の国家課題」として位置づけた。戦略では、安全保障、気候変動・環境保護、持続可能な開発、国際的な協力とガバナンスの4本の柱を掲げている。・ 第1の柱:米本土・同盟国に対する脅威の抑止と、米国民および領域の安全確保・ 第2の柱:気候変動への強靭性を高め、温室効果ガスの削減等による地球規模の気候変動緩和への貢献・ 第3の柱:アラスカ州住民を含む北極域における持続可能な経済成長の促進・ 第4の柱:北極圏の国際機関やパートナー国との協力体制の強化特筆すべきは、同戦略において、ロシアと中国を「北極圏における安全保障上の脅威」と明言した点である。これは、米国が従来の「環境・開発」重視のアプローチから、安全保障と地政学リスクへの備えを重視する姿勢に大きく舵を切ったことを意味する(※12)。さらに、2024年に米国防総省が発表した北極戦略では、気候変動、大国間競争、地政学的シフトにより、北極の戦略的価値が一層高まっていることを強調し、次の対応を求めている(※13)。・北極圏での軍事的プレゼンスと即応態勢の強化・同盟国およびパートナー国との共同訓練・運用の深化・高緯度地域での作戦展開に備えた部隊の能力向上トランプ政権は、同盟国に対して、自らの防衛にもっと責任を持つよう繰り返し求めてきたが、北極圏においては、米本土防衛に直接かかわる問題であり、欧米の利害は大きく重なる。イギリスも北極圏での軍事・科学的なプレゼンスの拡大を進めており、NATO全体としても中ロに対抗する北極圏政策の見直しが急ピッチで進められている。今後、北極圏でどのようなアライアンスが構築されていくのか注目だ。安保・経済のフロンティア”北極”——協調の可能性と立ちはだかる壁北極圏の融氷により、北極圏は、環境、エネルギー、物流といったテーマから、安全保障と経済戦略の中核として再定義されつつある。とはいえ、北極圏は、「フロンティア」であるがゆえに、いくつもの構造的課題を抱えている。以下に主要な5点を整理する。第一に、ガバナンスの不在と制度的な限界がある。北極圏のルール形成は、域内の協力を促進する政府間組織「北極評議会」が担ってきた。しかしその決定は、コンセンサス重視・ソフトロー依存という設計により、法的拘束力に乏しく、紛争予防や利害調整の機能は限定的だ。現実には、国連海洋法条約(UNCLOS)やポーラーコード、EUの法制度、海上保安協力、漁業管理、二国間協定などの枠組みの方が、北極固有の課題に対して実効性を発揮している。結果として、北極圏における統合的なガバナンスは未だ確立されていない。第二に、インフラの未整備がある。物流や開発の基盤となるインフラは、北極圏では決定的に不足している。たとえば米国は、大型コンテナ船が寄港できる深水港を北極域に保有しておらず、アラスカ内陸部も道路や鉄道が未整備のため、極北へのアクセスは著しく制限されている。ロシアに次ぐ広大な北極圏領域を持つカナダですら、北極海につながる深水港は1カ所しかなく、その位置も北極圏から南に約800km離れている。加えて、多くの地域空港は土や砂利を固めた滑走路しか持たず、商用貨物機やジェット機には適していない。第三に船舶・砕氷船の不足がある。氷海を航行するには、氷を砕いて進む砕氷船(アイスブレーカー)が不可欠だが、西側諸国はこれを十分に保有していない。ロシア政府は36隻を保有し、うち最重量級の砕氷船を約6隻擁する。中国も4隻の砕氷船を持ち、近く5隻目が就役する見込みだ。一方、米国沿岸警備隊の運用する北極砕氷船は2隻のみで、それも1976年就役の「ポーラースター」と1999年就役の「ヒーリー」である(※14)。2019年に新型の砕氷船の建造契約を締結したものの、引き渡しは2030年以降となる見通しである。図3 主要国保有の砕氷船(2022年4月4日時点)(データソース)CRS Report  ※米国は、2024年に市販の砕氷船を購入、2026年に沿岸警備隊艦艇として就役する予定のため、本表では3と隻と記載米国沿岸警備隊は議会証言で、「北極での任務を遂行するには、8~9隻の砕氷船が必要」としているが、実情は、その3分の1にとどまっている。問題の背景には、米国が原子力空母や原子力潜水艦など高度で複雑な艦船を建造できる一方で、砕氷船の建造には十分に対応できていないという点である。砕氷船は、原子力空母と同様、用途に応じて氷を砕くまたは切り裂く特殊強化船体、膨大な出力を要するエンジン、あらゆる気象条件に耐えうるシステムなど、高度な設計・建造技術を必要とする。加えて、米国沿岸警備隊および海軍向けの艦船は外国の造船所で建造することが禁じられているが、専門的技能を持つのはまさにその外国造船所側である。米国内の造船所は、投資、熟練労働者も、発注数も不足しており、議会が義務づけた原子力潜水艦の建造すら難航している。こうした船舶・砕氷船不足から打開するために、米国、カナダ、フィンランドは、「アイスブレーカー協力体制(ICE)Pact」を締結し、砕氷船の共同建造を目指す(※15)。ICE Pactは、友好国とのサプライチェーン構築(フレンドショアリング)と産業政策を融合させた枠組みであり、各国の造船業の効率性・回復力・競争力を強化し、国内外市場向けに必要な砕氷船をより効率的かつ迅速に建造することを狙いとしている。この枠組みに、今後新たな同盟国、パートナーが加わるのかが注目される。日米関税交渉では、造船分野での日本の協力が浮上している。艦艇や砕氷船の建造、補修などで日本の強みを活かせるのではないだろうか。第四に、鉱物資源の採掘コストがある。北極圏には豊富な鉱物資源が眠るとされるが、極地での採掘には莫大な初期投資とインフラ整備が必要であり、その費用は不確実性が高い。現時点では、経済的に採算が合わないとみられ、たとえ資源ポテンシャルが高くとも、商業化に向けた資金調達やリスクマネーの動員が難しい状況にある。第五に、航空権や領有権をめぐる対立が激化する可能性である。北極海をめぐっては、海洋法上の航行権や領有権をめぐる対立も顕在化している。たとえば、ロシアは長年、北東航路(NSR)を自国の内水と位置づけ、UNCLOS(国連海洋法条約)が定める航行の自由や無害通航の原則を制限しようとしてきた。今後は大陸棚延長を根拠に、排他的経済水域(EEZ)を超えた鉱物資源や広大な海域の主権的権利を主張する可能性もある。また、北極圏諸国に暮らす先住民・地域住民の権利保護も重大な課題だ。たとえば、グリーンランドやカナダ北部のイヌイットコミュニティでは、大国間競争の激化に伴い、自治権や自己決定権が脅かされる懸念が高まっており、こうした社会的・文化的課題も包括的に捉える必要がある。かつて「北極の例外主義(Arctic exceptionalism)」が語られた時代には、北極圏国と先住民族代表団体、さらに中国や英国などのACオブザーバーが、北極の保護とガバナンスに協力してきた。しかし現在では、多くの国が自国の利益を優先する大国政治の時代となった。北極圏はもはや孤立した存在ではなく、グローバルな文脈の中で再定義する必要があるだろう。求められる日本の北極戦略日本はこれまで持続可能な開発や環境、科学技術を主軸に北極政策を講じている。2013年には北極評議会のオブザーバー資格を取得し、2024年に策定した海洋開発等重点戦略では、北極政策について「研究開発、人材育成」、「持続可能な利活用の探求」、「国際ルール形成への寄与」、「省庁横断」などの取り組みを盛り込んだ。これを受け、日本の海運・物流企業は北極海航路の可能性を精査している。しかし、資源開発や新たな産業の創出という点では、更なる取り組みが求められそうだ。日本は造船技術やLNG(液化天然ガス)プロジェクトなどの分野で蓄積された知見を活かすことが、エネルギー供給の多様化と安定確保という観点からも、日本にとって戦略的に極めて重要となってきた。今後、日本が北極圏へ積極的に関与していくためには、以下の3つの視点が特に重要となるだろう。 地政学リスクへの対応北極圏の安定と平和を確保するため、日本は「ルールに基づく国際秩序」の維持に貢献すべきである。その一環として、グリーンランドとの協力関係の強化(貿易協定の締結、観光や教育・研究分野での連携)、さらにはノルウェーやアラスカと連携した環境対応型船舶(グリーン船舶)の共同開発、インフラ整備などが挙げられる 環境・社会リスクへの配慮北極圏の生態系は極めて脆弱であり、先住民の権利や生活とも密接に結びついている。経済活動を推進する際には、生態系の保全や先住民の権利尊重を前提としたアプローチが求められる 北極科学外交の推進科学技術力と国際協調を強みとする日本にとって、「北極科学外交」は有効な戦略手段となり得る。観測データや気候モデルの共有を通じ、気候変動への理解を深めると同時に、国際社会における信頼構築に寄与すべきだろう北極政策を戦略的に実施するうえでは、「価値観を共有する国との連携」、「民間企業との連携」という二つの連携が欠かせない。海洋開発等重点戦略に基づき、政府は自律型無人探査機(AUV)・周辺技術の開発や衛星データのAI分析、北極域研究船「みらいⅡ」の就航を進めるが、さらに「二つの連携」を拡充していくことが、期待される。宇宙開発において、政府は2025年、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)に「宇宙戦略基金」を設置し、10年間で1兆円規模の資金支援に乗り出した。海洋国家である日本にとって、北極を含めた海洋の開発・事業化は宇宙開発同様に生命線と言っても良いだろう。例えば、宇宙戦略基金に準じた「海洋戦略基金」を設置し、省庁横断による戦略的な投資・国内外の研究開発支援の体制を整えることは有効な政策案になるのではないか。特に北極はトランプ2.0の時代において重要性が急激に増しており、優先度が高い海域・エリアとなってきた。海洋戦略の内容を深化させ、場合によっては「北極圏戦略」を作成することも一案となるだろう。施策を着実に実施できる資金と体制を整えることが、北極へのアクセスの第一歩になる。参考資料(※1)防衛省『防衛白書』2022年版 (※2) JAXA Earth-graphy「2025年2月 地球上の海氷域面積が衛星観測史上最小値を記録」2025年5月20日(※3) Rantanen, M.; Karpechko, A. Y.; Lipponen, A.; et al., “The Arctic Has Warmed Nearly Four Times Faster Than the Globe Since 1979,” Communications Earth & Environment 3, 2022, 168.(※4)国土交通省『北極海航路の利用動向について』2021年7月28日(※5)Janis Kluge and Michael Paul, “Russia’s Arctic Strategy through 2035”, German Institute for International and Security Affars, SWP Comment, November 2020, No.57. (※6)“Northern Sea Route Shipping Falls Short of Russia’s 2024 Target”, The Moscow Times, Jun 10, 2025.(※7)Совет Безопасности Российской Федерации, “Основы государственной политики Российской Федерации в Арктике на периоmataд до 2035 года”.(※8)U.S. Geological Survey, “Circum-Arctic Recourse Appraisal: Estimates of Undiscovered Oil and Gas North of the Arctic Circle”, 2008. (※9)“Trump likens buying Greenland to ‘a large real estate deal’”, AP news, Aug 19, 2019.(※10)中華人民共和国中央人民政府 『中国的北极政策』 2018年1月26日(※11)“Larger Boxship Sails NSR, Expanding Russia-China Trade”, August 29, 2023. (※12)2023年には、ヴァンハーク米陸軍大将が議会証言で、気候変動と安全保障リスクの高まりに対応するため、「気候変動と地政学的リスクの増大に対処するため、明確な北極戦略、領域監視能力の向上、包括的防衛枠組みの構築が急務である」と訴えた。これは、米本土防衛を北極から再定義し直すべきとの主張でもある。“Statement of General Glen D. Vanherck, United States Air Force Commander United States Northern Command and North American Aerospace Defense Command before the House Armed Services Committee”, Defense.gov, Delivery Date March 8, 2023.  (※13)U.S. Department of Defense, “DoD Announces Publication of 2024 Strategy”, July 22, 2024.(※14)Mike Glenn, “New U.S. Arctic icebreakers won’t be ready until 2030, lawmakers say”, The Washington Times, December 18, 2024. (※15)U.S. Homeland Security, “Icebreaker Collaboration Effort (ICE) Pact”, Last updated on January 22, 2025. ウェブサイトの最終閲覧日は、いずれも2025年6月9日。

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ヒトメミライ 一目未来

文化財の社会的価値の定量化とその活用の動きが進んでいる。デロイトの経済助言チームが姫路市の協力のもとで分析した姫路城の社会的価値は1.8兆円で、入場料の年間収入の100年分を越えている。日本に国宝・重要文化財が約13500件あることを考えると、日本全国の文化財の社会的価値の総計は天文学的金額となりうる。姫路城の財務収益を遥かに超える非財務(社会的)価値の源泉となるのは実はインバウンドだ。姫路城と同程度の年間の入場者数を受け入れる他のお城(城址公園)の社会的価値はインバウンドからの認知度の差を考慮した結果、過去の分析時点では姫路城ほどは高価値に至らなかった。▼一方、デロイト海外チームが分析したローマのコロッセオ(約10.5兆円 2022年のユーロ円レート)やシドニーのオペラハウスの社会的価値(約1.1兆円 2023年の豪ドル円レート)と比較すると、海外での知名度と価値に緩やかな関係があることが窺える。また、オペラハウスの社会的価値は過去10年間で約4割上昇しており、世界遺産のような著名な文化財の社会的価値の金額とその伸びは今後も期待される。実は、もっと潜在的な価値の飛躍を望めるのは、財務的価値がほとんど期待できない、地域で親しまれている文化財かもしれない。▼こうした文化財の社会的価値の可視化の試みはまだ道半ばだが、簡易的で低コストの可視化スキームが開発され地域の文化財の価値が多くの人に認知された結果、全国の苦境に直面していた文化財への支援が持続可能となる環境はあと数年で創出されると見込んでいる。(パートナー 増島雄樹)
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